浦和周辺:塾で伸びない中学生専門の家庭教師、塚田です。

オリラジのあっちゃんから学ぶ歴史の流れ【原始から飛鳥①】

オリラジのあっちゃんから学ぶ歴史の流れ【原始から飛鳥②】

天智天皇(中大兄皇子)=中国でいう秦の始皇帝

公地公民:「土地はすべて大和政権のものとします!土地はすべて国からの貸し出しものです!お米などの税金払ってくださいね!」という政策や
律令制:「法律というルールで全国を管理します!法に従ってくださいね!」という政策を行ったのです。

つまり、それまで地域の有力なリーダーだった豪族(物部氏とか蘇我氏のようなチーム)の私有地を「国のものだ!!」とし、全部を天皇という一人のリーダー中心で全国を管理します!!ということ。

それまで分散していた権力を一つにまとめて、国を統率しようとしたのです。

これは、これは中国で秦の始皇帝と同じことをしたということです。
日本でいう「天智天皇」は、中国でいう「秦の始皇帝」。
天智天皇は日本版のキングダムなのです!!

このことを、歴史全体としてとらえると2つの興味深い視点があります。

ひとつは「中国と日本の進み具合が全然違う」ということ。

秦の始皇帝が中国を統一し、律令国家をつくったのは紀元前220年頃。
それに対して、天智天皇が律令国家をつくったのは645年(虫殺しの大化の改新で覚えた人も多いはず)。
日本で起きたことと同じことが、中国では800年以上前に起こっていたのです。
それだけ中国は当時の先進国だったのです。

もうひとつは、「統一と権力の分散」を繰り返していくということです。
一時的に始皇帝や天智天皇のような強力なリーダーが現れたとしても、その後、どこかで政治が乱れ、体制は崩れてしまうのです。そしてまた争いが起き、しばらくするとまた統一されてというのを繰り返します。

この「強力なリーダーによる統一」→「政治の乱れ」→「争い」→「権力の分散」→「強力なリーダーによる統一」
という流れは、日本でも中国でもヨーロッパでも繰り返す起きるものなのです。

このように歴史には、「今も昔も、国の場所も関係なく繰り返しているパターン」というものがいくつもあります。この法則のようなものを知ることが歴史の勉強の醍醐味だと私は感じています。

壬申の乱

天智天皇の次の天皇は、天武天皇でした。
しかし、天武天皇は蘇我氏を倒し、公地公民も行ったかなりカリスマ的存在。自分の息子を次の天皇にしようとしても、話が通ってしまうような状態でした。

しかし、強力な力で豪族から土地を奪い統制するやり方に不満を持っている豪族も多く、アンチも多かったのです。

そして、天智天皇が亡くなった後。
次は誰が天皇の地位につくなかをめぐって大きな争いが起きます。
それが壬申の乱です。

そして、そこで勝利したのは天武天皇でした。

天武天皇

天武天皇は、今の時代にも大きな影響を与える偉業をいくつもやっていました。

まず、それまでの日本は「倭国」とされていたのですが、ここで初めて「日本」という国を名乗るようになったのです。
そう、私たちの住んでいる国の名前「日本」という国号をつくったのは天武天皇だったのです。

それから、日本の歴史の記録をした「歴史書」を作るろうと言い始めたのも天武天皇です。
それまでのは中国の歴史書からの情報と日本の遺跡などで発見された一部の文章から推測されたもの。
それまでの日本には歴史の記録を残す文書がほとんどなかったのですが、ここではじめて「日本書紀」という日本初の歴史書がつくられたのです。

この「日本書紀」があるからこそ、私たちはこうして歴史について知ることができているのです。

歴史は同じ流れが別の場所で起きる

秦がはじめて中国を統一した時には、後に反感かって、大きな争いがあり、その後にできた「漢」はしばらくの間、安定した国でした。

天智天皇がはじめて日本を統治(公地公民や法律で国を治め、天皇中心のワントップ体制になった)あと、豪族たちから反感を買い、大きな争い(壬申の乱)が起きました。そして、その大きな争いの後にはしばらく安定した時代が続いたのです。

このように、中国でも日本でも時代は違えど、同じようなことが起きているのです。
「強力なリーダーシップでの統一」→「反感をかう」→「大きな争いが起きる」→「しばらく安定してた時期が続く」という流れも、国や時代を問わずに繰り返されていくものなのです。