浦和周辺:塾で伸びない中学生専門の家庭教師、塚田です。

オリラジのあっちゃんから学ぶ歴史の流れ【原始から飛鳥①】

の続きです。

蘇我氏と物部氏は新しいものを取り入れえるかどうかで揉めた

蘇我氏と物部氏はどうして対立したか。
それは、蘇我氏は当時、東南アジアの先進国で広まっていた「仏教」を取り入れようとしていました。「仏教をとりいれることで、国を統治しやすくなる。進んだ国のやり方を取り入れないと、おいていかれる」という意見。
一方、物部氏は「今までのやり方の方がいいに決まってる」という考え方。

このように、新しい考え方を取り入れるか取り入れないかで対立したのです。この対立の仕方は、別の時代でも繰り返し起きます。
(ちなみに、私たちの身近でもこういう対立ってありますよね?人間の心理は昔から変わっていないのです。)

飛鳥時代は蘇我馬子の時代

蘇我馬子と聞いても(え、、、名前、、、馬子って、、、)と思うくらいで(笑)あまりピンとくるような歴史上の人物ではないかもしれません。
でも、実はかなりやり手の人物だったのです。

ひとつは、元々は次期天皇になるはずだった別の家系の子を暗殺して、自分の姪っ子(後の推古天皇)を天皇にしてしまいました。
こうして自分の家系の子を天皇にして、裏で自分が政治を行っていたのです。

また、自分の姪っ子である推古天皇の補佐をしていたのがあの有名な「聖徳大志」です。それも、馬子が任命させたことであり、飛鳥時代は「馬子の時代」と呼ばれているほど馬子は重要な人物だったのです。

大化の改新の「大化」は日本初の元号。つまり今でいう「令和」のこと。

大化の改新は記憶に残っている人も多いかと思います。

(中大兄皇子と中臣鎌足が蘇我氏を倒したやつね!!、、、カマタリってなんだよ!!というようなやり取りになるところです)

大化の改新のおもしろいところは、実は「大化」というのは日本の初の元号だということです。
今は令和の時代ですが、約1400年前の「大化」からはじまったものなのです。
そして、「大化」という元号をつくるというのはどういうことか。
それは、「中国の元号は採用しませんよ。自分たちが日本という国でこれから中国や他の国とも対等な立場でやっていきますよ」という宣言のようなものでした。
当時の中国は、力で周りの国々を制圧していき、領土を拡大していました。
自分の国の元号を持つということは、日本にも近くの大国である中国が攻めてくる可能性が増えるという決断でもあったのです。