浦和周辺:塾で伸びない中学生専門の家庭教師、塚田です。

オリラジのあっちゃんから学ぶ歴史の流れ【奈良~平安①】

の続きです。

武士の誕生

そもそも武士はどのように誕生したのか。
それは、公地公民の頃にさかのぼります。

公地公民で土地は国が管理し、土地を与える代わりに税金を納めるという制度でした。
しかし、土地を与えても稲作がうまくいかないこともあり、土地から逃げてしまう農民も多かったのです。すると、税収が集まりません。
そこで、出したのが「墾田永年私財法」。

自分で新しく耕した土地は、自分の土地にしていいし、死んだら家族に引き継がせてOKということになりました。

そして、新しく自分の領地(荘園)を持つようになると、土地や農産物を奪いにくるものが出てきます。
奪いに来るやつらから土地を守るために自衛団(武器を持ってその土地を守るものの集団)を作るようになったのです。
この「自衛団」こそ武士のはじまりなのです。

そして、新しい領地が増えていくと、多くの領地を持つものも現れ、それにつれて自衛団の規模も大きくなっていったのです。

平将門

当時の日本の中心は関西。

関東の武士たちは関西にあった大和政権に制圧されて、重税をかけられていた。そこで、関東の武士たちは、反抗するタイミングを伺っていたのです。
その時に、武士たちをまとめる力をもっているリーダーが平将門でした。
平将門はタイミングを見計らって、朝廷に反旗をひるがえします。
しかし、その時にはまだ朝廷の軍隊の方が強かったため、敗れてしまします。
それからはまだしばらく、貴族の時代が続きます。

藤原道長

当時、摂関政治という、政治体制がありました。
通常は天皇の家系から、次の天皇が選ばれます。

もし、自分の娘が天皇と結婚すれば、天皇家の一族になることができるわけです。そして、天皇と娘が男の子を生めば、その男の子が次の天皇となります。

すると、「天皇の祖父」というポジションになり、天皇が若い時には自分が裏で実権を握ることがこの時代には可能だったのです。

藤原道長は、なんと自分の娘3人を天皇の結婚相手にしたのです。
さらにすごいのは、天皇との間に3人とも男の子を生んだのです。

例え結婚できたとしても子供が生まれなかったり、生まれても女の子であれば天皇になることはできません。それを3人連続でやってのけたのです!

(ちなみに、藤原道長は相当イケメンだったらしいのです。
娘に教養を習わせるためにあの「紫式部」が家庭教師をしており、源氏物語のモデルは藤原道長だったともいわれています。)

中田さん「スーパービューティーラッキーボーイが藤原道長なのです!笑」

白川上皇

道長が亡くなり、藤原氏一族も衰えた後。
次に政治権力を握ったのが白川上皇でした。

この白川上皇は院政で権力を握りました。
院政とは自分が天皇をやめて、息子に天皇が変わった後も「院」という天皇を補佐するポジションにつき、政治を行うものです。

(上皇とは会社でいう「会長」のようなものです。会社が社長を引退した後も、会長として会社の実権握っているようなものです。)

白川上皇は天皇3代にわたって上皇として、裏で政治の実権を持ち続けました。

平清盛

次に台頭してきたのは「平清盛」でした。

平清盛は天皇家の隠し子であり武士でもある、今までにいない経歴を持った人間でした。
天皇の隠し子であったため、ものすごく出世していき、武士でありながらはじめて太政大臣という朝廷の上位のポジションにつくまでになります。

最初は、自分たちの土地を守るところからスタートした武士は、ついにここまでの権力をもつ存在になっていったのです。