浦和周辺:塾で伸びない中学生専門の家庭教師、塚田です。

https://youtu.be/oSzH7oSn05g

ペリー来航

いよいよ、江戸幕府の終わりのはじまりであるペリーが来航します。
そもそも、なぜペリーは日本に来航したか知っていますか?
「日本と貿易したったからじゃないの?」と思われる方も多いでしょう。
しかし、本当の理由は「停泊地が欲しかったから」だったのです。

アメリカは産業革命の影響を受け、工業国となっていきました。
工場には油が必要です。当時は油をクジラから取っていたのため、とにかくたくさんの捕鯨をする必要がありました。そのために、アメリカ近海だけでなく太平洋の日本付近まで船を出そうとしており、その際の停泊地が欲しかったのです。
また、貿易については「日本との貿易」よりも「清との貿易」を行いたかったため、そのための停泊地としても日本の開港が必要でした。

大政奉還

その後、アメリカとの不平等条約を結び、幕府への不満が高まっていました。
そんな中、井伊直弼が幕府の体制を悪く言う人々を次々に処刑してしまう。
このことにより、さらに幕府への不満は高まり、政権を朝廷に戻し新しい国づくりをするべきだという風潮が高まっていきました。

米の不作により、百姓一揆や打ちこわしも頻繁に起こっている状態。

江戸時代の秩序が乱れて不安になった人々が「ええじゃないか」といいいながら群衆で踊り歩くのが各地で大流行。
ここまでくると、江戸も末期だと思いますよね(笑)

そこで、16代将軍の徳川慶喜は政権を朝廷に返しました。
これが大政奉還です。

幕府軍は城を攻められて降伏したわけではなく、戦う前に城を明け渡しました。
もちろん勝ち目がなかったというのがありますが、自ら政権を返すことにより、新政府になったあとにも政治権力を持ちつづけようと目論んだのです。

しかし、先手を打った倒幕派が朝廷を動かし、王政復古の大号令が出されました。そして、大名たちの官職はなくなり、領地も国のもとに返還され、幕府側の政治的な影響力はなくなってしまいます。

戊辰戦争

しかし、先手を打った倒幕派が朝廷を動かし、王政復古の大号令が出されました。そして、大名たちの官職はなくなり、領地も国のもとに返還され、幕府側の政治的な影響力はなくなってしまいます。

これに不満を持った大名たちが集まり、新政府軍と戦争になります。

薩英同盟で手に入れた、西洋式の武器と軍隊を持つ新政府軍。
京都からはじまった戦ですが、旧幕府軍に勝ち目はありません。
旧幕府軍は戦いながらも、北へ北へと逃げざるおえなくなり、最終的には函館の五稜郭で戦いを終えました。

京都からはじまった、この一連の戦いが戊辰戦争です。

ここでついに、1000年以上も世に影響を与え続けた武士の時代が終わりました。

ここから、今の私たちの生活の原型となる明治時代の幕開けとなります。