浦和周辺:塾で成績が伸びない中学生専門の家庭教師、塚田です。

文明開化

洋服やコートを着る人が増え、牛肉、パン、牛乳が食べられるようになったり、街の様子も江戸ではレンガ造りの建物、ランプ、ガス灯が並ぶようになりました。

「一日を24時間、一週間を7日とする太陽暦」
「小学校教育を国民全員が受ける学制」
「税金を現金で徴収する地租改正」
「公家や大名は華族、武士は士族、百姓や町民は平民する身分制度の廃止」など、今の日本の制度の基本となる部分はこの時に作られました。

「藩」から「県」に変わる、江戸から東京に変わったのもこの時からです。

留学組VS留守組

岩倉具視、伊藤博文、大久保利通、木戸孝允らの岩倉使節団ができたばかりの世界一周のルートを利用して、海外を視察しに行きます。昔でいう「遣唐使」のようなものですね。

外国を見て回って、大きなカルチャーショックを受けるわけです。
産業革命により、アメリカやヨーロッパは日本と比べものにならないくらい進んでいたわけです。

この時に、留守組だった西郷隆盛と板垣退助は「武力で朝鮮を開国させるため、兵を出すべき」としますが、海外を見てきてた留学組は「そんなことより、国内を整えて近代式の軍隊作らないと他の国が攻めて来られても、負けてしまう・・・」と主張します。

その後、西郷隆盛は武力によって、板垣退助は言論によって政府と対立することとなります。

武士のラスト

武士は身分制度の廃止により、特権であった米の配給はなくなり、刀を持ち歩くことも禁止されてしまします。

また、廃藩置県により大名の護衛や藩内の治安維持の役割もなくなります。

さらに、徴兵令により20歳以上の男子全員に兵役の義務が課されます。成人男子はみな兵隊ということです。これにより、武士の特権である「戦」も特別なものではなくなりました。

さらに1876には士族に与えていた最低限の生活保証金である「秩禄」が廃止され、刀の所持そのものを禁止とする廃刀令が出されました。
政府側は、もともと武士の反乱をおさえるために「秩禄」や「刀の所持」を認めていたわけですが、軍隊が整ってきたことで強気に出れるようになったのですね。

これにより、武士の不満が爆発し、各地で反乱が起きます。
そして、翌年。
西郷隆盛を主導者として、西南戦争が起きます。
半年にも及ぶ、士族による最大の反乱です。

相手は、もともと農民だったものがほとんどであり、戊辰戦争を経験していた士族軍は政府軍を見下していました。
しかし、兵士がいくら強くても武器が違えば勝敗も変わります。

西南戦争に敗れ、侍は姿を消したのでした。