浦和周辺:塾で伸びない中学生専門の家庭教師、塚田です。

オリラジのあっちゃんから学ぶ歴史の流れ【鎌倉~室町①】

オリラジのあっちゃんから学ぶ歴史の流れ【鎌倉~室町②】

の続きです。

足利尊氏が室町幕府を開く

建武の新政により、天皇の政治に戻りました。
しかし、貴族中心の政治に戻そうとした結果、すぐに武士たちの反感をかってしまいます。
足利尊氏の元に武士たちが集まり、天皇の追い出します。

ところが、朝廷軍を破った足利尊氏が京都に光明天皇を立てると、後醍醐天皇は奈良に逃げ「我こそが天皇だ」と宣言し、京都の朝廷=北朝と吉野(奈良県)の朝廷=南朝という天皇が二人いるという異常事態となりました。、

そして、北が尊氏、南が後醍醐天皇に分かれて、南北朝時代となります。

(中国でも南北朝時代があったように、日本でも同じように政府がふたつに分かれた状態になりました。)

3代将軍 足利義満

この南北朝時代、なんと60年も続きました。
60年間も朝廷が争い続けている状態だったのです。

そして、3代将軍義満が
「争いつづけるのはもうやめませんか?朝廷をひとつにして、今回は北朝が天皇として、次の天皇は南朝側がつくといるのでどうでしょう?」という提案をし、南北に分かれていた朝廷が1つにまとまったのです。


平安時代は、源氏物語や寝殿造りのような貴族の文化。

鎌倉時代は、金剛力士像を代表とする「武士の力強さ」が目立つような文化。

室町時代には、朝廷が京都の近くにあることから、貴族と武士の交流があり、「貴族の優雅さ」と「武士の力強さ」武家と公家が混ざった文化が発展しました。
武士の居住形式に寝殿造りを取り入れ、華やかな見た目である金閣寺はその代表的なものです。

8代将軍義政

銀閣寺をつくった8代将軍の義政は政治に興味がなく、芸術を好んでいたといわれています。

当時、義政と奥さんの日野富子との間に男の子は生まれず、次の将軍は義政の弟の「義視(よしみ)」が行うことになっていました。

ところが、日野富子が男の子を出産します。すると、弟の義視が次の天皇だと決まっていたのにも関わらず、自分の子を天皇にしたいと日野富子は言い出します。

そこで、次の天皇を決める後継ぎ争いに、有力な武士たちが巻き込まれていき起きたのが「応仁の乱」だったのです。

室町幕府はここから大きく乱れてしまい、戦国時代に突入していきます。